7月。「盆踊り」をテーマとするイベントが、藤沢で開催されました。
イベントの名は、「藤沢宿・遊行の盆」。
いわゆる”盆踊り大会”ではありません。盆踊りの「原点」を探り、全国の盆踊りとコラボレートしつつ、その成果を地域再生に活かすのがねらいです。
舞台は、藤沢の中心に位置する清浄光寺。通称「遊行寺」として親しまれるこの寺は、一遍上人を開祖とする時宗の総本山です。この一遍上人の広めた「踊り念仏」が、謎につつまれた盆踊りの有力な起源といわれています。
イベントでは、「西馬音内盆踊り」「おわら風の盆」を招聘するとともに、踊り念仏や藤沢の伝統も加味した創作盆踊りを行いました。
来年もこのイベントが発展することを心から望んでいます。
第2回レポートはこちら
名 称 | 第2回 「藤沢宿・遊行の盆」 |
日時・場所 プログラム |
7月27日(金)11:00~20:00 遊行寺境内
11:00~20:00 屋台ブース開設 |
7月28日(土)11:00~21:00 遊行寺境内
(昼間の部) |
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7月29日(日)10:00~12:30 藤沢市民会館大ホール
10:00~ 開 会:オープニング(あいさつ) |
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主 催 | (主催)藤沢宿・遊行の盆実行委員会・藤沢商工会議所 (藤沢商工会議所・遊行寺・地元商店会・自治会・行政・関係団体・地元議員 等により構成) (後援)神奈川県・藤沢市・藤沢市教育委員会・(社)藤沢市観光協会 |
第2回藤沢宿・遊行の盆 実施要領
(目的及び概要)
地域間競争の激化等により、藤沢地区においても商業等相対的に低迷し、既存ストックを生かしながら魅力の向上を図り地域を活性化させることが大きな課題となっている。
そこで地元の地域資源を見つめ直し、盆踊りのルーツといわれている「踊り念仏」ゆかりの地である時宗総本山”遊行寺”において、全国の有名な盆踊りや念仏踊りを集めて盆踊りイベントを開催する。
踊り念仏は、鎌倉時代に時宗の一遍上人が全国を念仏を唱えてまわった際、念仏を唱えているうちに突然一遍が踊りだし、見ていた民衆もこれにならって踊り出したというのが始まりで、各地の文化・特色が盛込まれて、盆踊り・民俗芸能の起源になったと考えられている。
こうした藤沢に残された文化を生かして、踊り念仏をモチーフにした藤沢の新しい踊りを創作したものを阿波踊りやよさこい等のように、全国的な踊りに発展させ、藤沢の観光の目玉とするとともに周辺商店街において昔ながらの市を開催し、観光・商業の活性化を図る。
これにより、「藤沢=盆踊り」のメッカというイメージ戦略を展開し、地域の観光・商業のさらなる発展とイベントを実施する過程における地域の方々のふれあいにより、地域コミュニティーの活性化を期待するもの。
(主催)藤沢宿・遊行の盆実行委員会・藤沢商工会議所
(藤沢商工会議所・遊行寺・地元商店会・自治会・行政・関係団体・地元議員 等により構成)
(後援)神奈川県・藤沢市・藤沢市教育委員会・(社)藤沢市観光協会
(社)藤沢市商店会連合会・遊行寺
◆時宗 一遍上人と踊り念仏
盆踊りの直接の母胎となり、後の多くの民俗芸能の起源となったのが「踊り念仏」と考えられている。
踊り念仏は、「念仏信仰」という宗教面と、「集団での踊り」という芸能、パフォーマンス面とを結びつけたもので、鎌倉時代の宗教家「一遍」が広めたことは広く知られており、寺院を建立することなく、その生涯を日本全国、一人でも多くの人々に念仏をすすめて歩いた。
一遍の踊り念仏が記録されている聖絵には、弘安2年(1279年)の秋に信濃善光寺に赴き、また、承久の変で叔父河野通末が流された佐久郡伴野に赴き、そこの「市庭の在家にして歳末の別時のとき、紫雲はじめてたち侍りけり」とある。
さらに、佐久郡小田切の里、或る武士の館において、あまたの道俗と共に念仏しているうちに、突然、一遍が踊りだし、一同これにならって踊りまわったという。
一遍の念仏は「信不信をいわず、浄不浄をきらわず、ただひたすら仏願に乗じて無心に唱え、我が申す念仏ではなく、仏と共に申す念仏、最後にはその我も仏も消え果てて念仏が念仏を申す。南無阿弥陀仏になりきること」をもって理想とした。
一遍の踊り念仏は春駒のように踊りまくる。 踊ろうと思って踊るものではなく、自分では知らず知らずに踊っているのであり、踊りは心の開放であったのである。
聖絵の踊り念仏を見ると、踊り屋を建てて踊っており、その踊り屋は舞台のように高くなっていて、そのまわりを老若男女、武士、僧尼などが群がって踊り念仏を眺めている。 また、単に眺めているというのではなく、両手を合わせて祈っている場面もある。
一遍の念仏は融通念仏によったものであるといわれる。これは一遍が融通念仏の賦算札を配っていたということであり、融通念仏は自分の唱える念仏の功徳はすべての人の功徳となり、他人の唱える念仏は自分の功徳にもなるという念仏の信仰である。 この融通念仏はうたう念仏であった。つまり、合唱の念仏であった。「合唱に参加するものは、その念仏の功徳を融通しあうから、百人の人が百遍の念仏を合唱すれば、その一人が、百万遍の念仏を唱えたことになる」そのためには、一人でも多くの参加者を募る必要があり、この融通念仏に参加をすすめるのが聖の仕事であったといわれている。 この融通念仏と踊り念仏の結合は鎌倉時代の中頃と思われる。
現代の日本各地には踊り念仏または念仏踊りが伝承されている。 しかし踊り念仏と念仏踊りは同じではない。
踊り念仏には、宗教的要素が濃厚であるのに対して、念仏踊りになると、ほとんど宗教的要素は無くなってしまい、民俗芸能となっている。 全国各地の盆踊りや鎮花祭・豊年祭などで行われる在家信者の踊りを念仏踊りという。 踊り念仏は自己を宗教的な陶酔に導くためのものであったが、念仏踊りは芸能化が進み、死者の霊を慰めるためのものへと変化している。